「~人生の五計~ 前編」
今から千年程前、中国、宗の時代の朱新仲という学者に「人生の五計」という教えがあります。
人間の一生を五段階に分けて、我々はそれぞれの段階をどのように生きていったら良いのかを計らなければならない、という教えです。
「生計」
いかに生きて行くべきかを計る。
「身計」
いかに社会で身を立てて行くべきかを計る。
「家計」
いかに家庭を築いて行くべきかを計る。
「老計」
いかに老いて行くべきかを計る。
「死計」
いかに死すべきかを計る。
人生は全てこの五計に収まるというのです。
我々の一生は自然の木々の一年によく似ています。
木は、二月の節目を過ぎると、根から地中の水分養分を吸収し、来る時期を待ちます。
四月になると木は、一斉に芽吹き、目にも鮮やかな青葉、若葉の新緑の時期となります。
五月になると、白や赤や黄色といった花が一斉に咲き出します。
六月になり梅雨の時期になると木は、雨と湿気により一日一日と枝を伸ばし、幹を一回り太くしていきます。
七月、八月、真夏の暑い光を受け、木も隆々とし、その葉も一層色を深め安定感を増します。
九月、残暑は厳しいものの朝晩は涼しくなり、「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉のように、夏の終わりを予期させます。木々もそれに合わせるかのように成長を止めます。
十月、十一月、季節的には大変過ごしやすい好季節を迎えます。真夏の暑い日差しに耐え、直射日光から人々を守ってきた木々の葉も、役目を終えて錦絵のようにその色を変えていきます。しかしその時期もそう長くは続きません。
十二月、錦絵のようにあれほど美しかった紅葉も、徐々にその色も褪せ、雨に打たれ、風に吹かれてその葉を落とし、最後にはその木を覆っていた葉は全て落ち尽くし、幹と枝が残るだけとなります。
木はこの繰り返しを続け、その役割を終えるのです。
人間の一生も同じです。生まれてから小学校、中学校、高校、大学と、季節で言えば一月から三月です。その間知識を蓄え、体と精神を鍛え、いかに生きて行くべきかを考えながら社会に出る準備をします。「生計」の時期です。
学校を卒業し就職して社会に出る時期、季節で言えば四月です。青葉若葉の新芽が一斉に噴き出すように、今までの蓄えたエネルギーを基に社会に出て身を立てていく「身計」の時期です。
そして季節は五月、様々な花が一斉に咲きだすように、会社で出世したり、結婚したり、子供を授かったりと様々な人生の花が咲いてくる「家計」の始まりです。
六月、今までの爽やかな好季節とは打って変わり、蒸し蒸し、じめじめの大変過ごしにくい梅雨の時期を迎えます。はじめは順風満帆に思えた会社も家庭も、地位も上がり子供の成長と共に、今までには経験したことのない様々な問題に直面します。しかし梅雨の時期に木は一日一日枝を伸ばし、幹を太くするように、この時期が本当の人間を作り、成長させていくのです。
七月、八月、この時期木々が隆々と安定感を増すように、社会でも会社でも家庭でも安定期を迎えます。ここまでが「家計」の時期です。
そして季節は九月。木々が夏の暑さが終わると成長を止めるように、会社も定年の時期を迎え、また長年一緒に生活してきた子供たちも独立し、会社のため、家族のためという大役を終える季節となります。そのことは、同時に自分のこれからの生き方を計らなければならない時期でもあるのです。これを「老計」といいます。
十月、十一月木々の葉が錦絵のようにその色を変えていくように、この時期は同時に「艱難辛苦汝を玉にする」との言葉のごとく若い人には真似することの出来ない渋み、重厚さ、安定感といった、人間的な紅葉の時期です。
十二月、あれほど美しかった紅葉も色褪せ、雨と風に打たれて葉を落とし、木の幹と枝だけが顕わになるように、自分がこつこつ積み重ねてきた社会的地位、名誉といった矯飾も廃れ、またさらには、若い時にはあれだけ自慢であった容色も衰えて、人間としての役目を全うするのです。この時期を「死計」といいます。
このように我々の一生には必ず五つの段階があり、今自分がどの段階にいてそれぞれをどのように充実させていくかという事を計りなさいという教えなのです。