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「勝の哀しみ1」

昭和の初めに活躍した作家に徳富とくとみ蘆花ろかがいます。

彼の兄は「近代日本国民史」「日本通史百巻」を書いた徳富(とくとみ)蘇峰(そほう)

その五歳下の弟が、徳富健次郎こと徳富蘆花です。

清少納言の「蘆の花みどころ特になし」との言葉に、その見どころがないのが自分は好きだと言って盧花と名乗ったそうです。

 

一九〇六年(明治三九年)十二月十日、旧制第一高等学校の弁論大会で記念講演を行っています。

その題名が「勝の哀しみ」です。

明治三十七年~三十八年に行われた「日露戦争」に勝利し、日本中が歓喜したが、生活は一向によくならず、全ての人が「こんなはずではなかった」と感じていた時代です。

 

「人は無限を恋う、その人間が有限に撞見接したときここに悲哀あり、喧嘩に勝っても、戦争に勝っても、結果は心地よく割り切れない。勝者としての喜びには、常に敗者としての哀しみが勝利する。敗北も悲哀なら勝利も悲哀なり、歓楽極まって哀情多し。この虚しさを満たしてくれる真実なものがあるに違いない。一時の栄をもとめず永遠の生命を求めることこそ一日の猶予も出来ない厳粛の問題である」。

一高の生徒はエリート。勝ち組の青年です。

彼らはこの演説を泣きながら聞き、そして何人かは、その日のうちに荷物を畳んで寮を出て行ったそうです。

盧花が言う、「この虚しさを満たしてくれる真実なもの、一時の栄をもとめず永遠の生命」とは一体何なのか。

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