住職のお話

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住職

「自灯明・法灯明」

お釈迦様が惜しまれながら亡くなる日、〝()北面(ほくめん)西(さい)〟にして休まれていますと、泣き声が聞こえてきます。「一体誰が泣いているのだろう」と思っているとその正体は阿難(あなん)でした。

阿難はお釈迦様の従弟で二十五年間一緒にいて、一番教えを聞いていた方、その方が泣いていると「枕辺に呼びなさい」と言われお釈迦様のお側に寄ると、こう諭されます。

「阿難よ私はあなたに生まれたら老いて死ぬという事を何回言ったか、何故泣いているのですか」と言われ阿難は「私はずっとお釈迦様の教えを聞いてきました、これから一体誰のいう事を聞いて、誰の教えを聞いて生きて行けば良いのでしょうか」と訊かれ、最後の言葉をお残しになられます。

 

自灯明(じとうみょう)(ほう)灯明(とうみょう)

 

「自らを灯火として他人を灯火にするのは止め、私のお経を灯火にして他の思いを灯火にするな」と・・・、現代風に言い表すならば。

「あなたはずっと私の運転する助手席に乗っていました、これからは自分で運転をして行きなさい。もし、道に迷ってしまったら私のあげた地図で自分の道を見つけ、早く運転を覚えなさい」。

これを〝自灯明・法灯明〟と言ってお釈迦様が最後に語った言葉で御座います。

 

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