住職のお話

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住職

「人生の大切な場所に気づく」

中国晋時代の詩人に陶淵明(とうえんめい)という方がいます。かれは、ある県令(県の長官)を最後に宮仕えをやめて、故郷の田園に帰るのですが、その折の心境をうたった詩に有名な「帰去来の辞」があります。

その一節に「鳥倦飛而知帰(鳥飛ぶに倦んで帰るを知る)」。「鳥は飛ぶことに疲れてくると、自分の帰るべきところがわかってくる」と、自分の心境を取りに置き換えてうたっています。

我々も、仕事に追われ疲れたり、大きな挫折に出会ったりすると、何もかも捨てて旅に出たくなります。しかし初めの二日三日はよいのですが、それ以上長くなると、とくに海外旅行などは、疲労とともに欲も得もなくなり身軽になりたい一心で不用品を処分したり、国内であれば宅急便で自宅へ送ったりします。最後には、「帰心矢の如く」あんなに離れたかった家に一刻も早く帰りたくなり、「やっぱりわが家が一番」などと感じたりします。

同じように、若い時代は誰しもが故郷を離れて都会で働き住んでみたい。あるいは日本を離れ海外で住んでみたいと夢見るものです。

私の知人に、バブル真っ最中、大阪駅前の自宅を処分して「余生は外国で楽しく暮らすんだ」とオーストラリアのゴールドコーストに移住したかたがいます。今から一二、一三年前にお宅にお伺いしたことがあります。大きな邸宅、後ろは川で船着き場があり、前庭にはプール、青い空、青い海。日本人ならだれでも夢見る光景です。しかしその方は私にこう話されました。

 「十五年ほど前、我々夫婦は狭い日本を離れ、この広いオーストラリアで人目を気にせず、自由に、好きなゴルフを、釣りを楽しみたいとやってきました。はじめは、今日はゴルフ、明日は釣りと海外生活を謳歌しましたが、だんだんそれが空しくなって、今では毎日、日本の映画を二人でみているんです。そして最後に、日本に帰りたい」。

 〝歓楽極まって哀情多し〟という言葉がありますが、楽しみが極限に達してくると、かえって空しい気持ちが増してくるようです・そして、歳を重ねるごとに思い出すのは、「うさぎ追いしかの山、こぶな釣りしかの河」ふるさとの山河です。

 「鳥倦飛而知帰」人間も、世間的な苦労を重ねてくると、今まで見えなかったものが見えてくるのです。聞えなかったものが聞えてくるのです。石川啄木はこのことを、

 

ふるさとの山にむかいていうことなし

ふる里のやまはありがたきかな

 

と、知らず知らず自分を教え育ててくれた故郷に気づくのです。

 

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