「幸せとは」
先日新聞に、これから老後を迎える人が越えなければならない三つの壁があると。一つは「お金」、二つ目は「健康」、三つめは「孤独」で、それぞれの頭文字をとって、3kというそうです。
確かに、人生はお金ではない、と言っても何をするにも先立つものが必要ですし、先立つものがたとえあっても健康であればこそです。ましてや病気になれば、なおさらお金が必要になります。
十年間奥様の癌の治療を支え続けたご主人がしみじみと、「お金の切れめが、命の切れめでした」とおしゃったときの驚きと虚しさと現実の厳しさを感じたことを今でも忘れません。
また幸いにも、お金と健康に恵まれたとしても最後は孤独との闘いが待っています。老人ホームに入居する老人のほとんどがこの孤独を感じているのです。佛教ではこの世は「苦」しみの世界であると説きます。苦とは「思うようにならない」という意味です。この世は、人間にとって生きている限り自分の思うようにならない苦の世界なのです。 今、幸福度という言葉が流行していますが二〇一六年の世界幸福度第一位は南米のコロンビアです。我々コロンビアと聞くと、麻薬、犯罪、経済格差など、幸福とはかけ離れたイメージを持ちますが、この国に住んでいて幸せだと感じる人が世界で一番多いのがコロンビアなのです。日本は二十六位です。
なぜかと言えば、彼らは親戚同士が一緒に暮らす大家族であることと、国が祭りを奨励していて、地域の中での関係が非常に濃密であること。そして誰もが「自分に何かあったら誰かが必ず助けてくれる」という確信を持っているそうです。
貧しさの故にお互いが寄り添い助け合わなければ生きていけないことを知っているのです。
人間はお金や物を豊富に持っていればいるほど孤独を感じ、貧しく弱い存在であると知れば知るほど他との関係性と助け合いの必要性を理解し幸せを感じるのです。
関係性を「縁」といい助け合う気持ちを「お陰様」と言います。佛教は人に幸せを感じさせる教なのです。