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2022.05.06
住職のお話更新しました!前回の続きとなりますのでご覧になられていない方は、バックナンバーより【お墓参りで気づく先祖の智慧3】をご参照ください。
2022.04.01
住職のお話更新しました!前回の続きとなりますのでご覧になられていない方は、バックナンバーより【お墓参りで気づく先祖の智慧2】をご参照ください。
2022.03.04
住職のお話更新しました!前回の続きとなりますのでご覧になられていない方は、バックナンバーより【お墓参りで気づく先祖の智慧1】をご参照ください。
2022.02.04
住職のお話更新しました!
2022.01.08
住職のお話更新しました!前回の続きとなりますのでご覧になられていない方は、バックナンバーより【妙観察智6】をご覧ください!

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施設のご紹介

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九品院について

田嶋山九品院は、法然上人の教えを守る浄土宗のお寺です。
徳川家康の命令で小田原から移転してきた田嶋山快楽院誓願寺の塔中として1599年(慶長4年)に神田須田町に開創されました。
開山は本蓮社正誉上人秀覚大和尚、開基は塙直安道閑入道でした。
塙直安は、関ヶ原の合戦で徳川方について活躍した武将でしたが、晩年は江戸に住んで小児科医になりました。
その子孫も、江戸城内の医師として歴代の将軍に仕え、代々の葬地は九品院です。
本坊誓願寺は当初神田白銀町にありましたが、幕府の市街地整備や、明暦の大火などのために、神田須田町、浅草へと移転を繰り返します。九品院も誓願寺と共に同じ道を歩みました。
誓願寺の各塔中は有力な外護を持ちました。九品院は、菓子御用達の井上家の宿坊となっていましたが、他に、播磨屋新右衛門からもひとかたならぬ外護を受けていました。
播磨屋は両替商として財をなし、明治の金融恐慌を迎えるまで、銀行業を行った豪商です。
明治維新を迎えると、神仏判然令の公布、それに伴って起こった廃仏棄釈運動などの試練に遇い、各塔中は独自に存続の道を切り開かざるを得なくなります。
そして、1923年(大正12年)の関東大震災を契機として、本坊であった誓願寺とも袂を分かち、260年以上の月日を過ごした浅草の地をあとにして、練馬の現在地に他の十ヶ寺と共に移転。
それから100年近くの時が経っています。この間、33代に至る歴代住職の営々たる努力と、九品院を支え続けた檀信徒と縁を結びながら今日に法灯をつなぎ、歴史を刻んできたのです。
そして2016年(平成28年)、本堂客殿庫裏新築工事が落慶。本尊である阿弥陀如来のもとに人々が集い、心のよりどころとなる寺院をめざし、皆様と共に歩んで参ります。

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蕎麦喰地蔵尊

蕎麦喰地蔵尊 同じ塔中であった長安院に「勝軍地蔵」という地蔵尊が祀られていました。
これは、家康が小田原の誓願寺住職であった本蓮社正誉上人を江戸の誓願寺に迎える際、使者として差し向けられた大久保長安が小田原への道中で発見した尊像です。その後、長安院の檀家から西慶院に寄贈され、1837年に起こった疫病の時に、この地蔵尊に帰依していた蕎麦屋の一家が無事だったということから、「蕎麦喰地蔵尊」として人々の信仰を集めるようになりました。明治末年に西慶院が九品院に合併したため、現在は九品院に祀られています。

蕎麦喰地蔵尊のお話

ある年の秋、ある時間に決まって浅草広小路にある「尾張屋」という蕎麦屋に一人のお坊さんが来るようになった。お坊さんは、食べ終わると合掌をして丁寧にお礼を言って出て行く。
それが毎日のように続いた。
亭主は、「あの奥ゆかしい容貌、穏やかな物腰はただのお坊さんではあるまい。いったいどちらのお寺の和尚さんだろう」と思い、ある日お坊さんの後をつけていった。お坊さんは、誓願寺の総門を通って二棟目にある西慶院の地蔵堂の前で、すっと消えてしまった。亭主は不思議に思って店に帰る。その夜、亭主の夢枕にお坊さんが立って、「私は西慶院の地蔵である。日頃お前から受けた蕎麦の供養に報いて、一家の人々を悪疫から守ってあげよう」そう言って姿を消した。
それ以来、蕎麦屋の亭主は、西慶院の地蔵尊に蕎麦を供え供養した。
その後、天保8年(1837年)4月、全国に疫病が流行した。人々が死んでいく中で、尾張屋の一家だけは皆疫病にかからず無事だった。
このことがあってから、西慶院の地蔵尊の話が江戸市中に広がって、「蕎麦喰地蔵尊」として人々の信仰を集めるようになった。

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六朝慈母観音像

六朝慈母観音像 玄関正面で参拝者を迎える観音菩薩像は、1954年(昭和29年)に檀家総代を務める栗山家から奉納された尊像で、旧本堂では、本尊様の脇に安置されていました。この観音様は、戦時中満州から栗山家へ伝わり、のちの調査で六朝時代(222年〜589年)のものと判明しました。前住職の勝部定昭上人より「六朝慈母観音」と名付けられました。
新たな本堂では玄関正面で、参拝者に優しい眼差しを向け見守ってくださいます。お参りをして堂内へお進みください。
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年中行事

  • 春彼岸会法要・・・三月
  • 施餓鬼会法要・・・五月
  • 棚経法要
    ・・・七月十三日〜十五日
  • 秋彼岸会法要・・・九月
  • 十夜法要・・・十一月
詳しい日程については、事前にTOPページにてご案内します。
年中行事
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境内MAP

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職員のご紹介

  • 九品院名誉住職藤木雅雄
1954年
埼玉県に生まれる
1977年
大正大学佛教学部浄土学科卒業
1980年
大正大学佛教学部浄土学修士課程修了
1980年
財団法人全日本佛教会勤務
1981年
練馬迎接院住職
1986年
練馬九品院住職
2007年
公益法人浄土宗ともいき財団事務局長
2018年
公益法人浄土宗ともいき財団退職 現在に至る
九品院名誉住職 藤木雅雄
  • 九品院住職藤木勝道(第33世住職)
九品院住職 藤木勝道
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九品院関連グッズの販売

バンド 九品院では、住職藤木雅雄著書「縁」をはじめ、御守りや関連品のオンライン販売を行っています。お気軽にご覧ください。
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